会報誌たくみ

 

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人間的な原点を大切に職人の育成を

株式会社井内工務店(大町市)
代表取締役 井内猛男氏  

プロフィール/昭和29年(1954)生まれ、56歳。大町市出身。大学を卒業し、大手ゼネコンで勤務した後、平成6年に井内工務店に入社した。父、八雄氏の後を継ぎ、16年に代表取締役に就任、現在に至る。当会の副会長を務める。妻と長男、長女の4人暮らし。

 

ゼネコンでは、主に現場を担当。16年間務めた会社を後にして、大町市に戻ったのは平成6年。バブル経済は崩壊していたが、長野では平成8年の冬季五輪を前に、まだまだ公共投資が盛んだった。「これはまずいと感じた。東京も札幌も、五輪後の業界の衰退が著しかったから」。売上は当時20億円ほど。東京では躯体業者が潰れていく様子を目の当たりにした。「うちはそういう風になっちゃいけない」。家業へのそんな心配が、帰郷を決意させた。

 


先代社長で父の八雄さんは仕事熱心で有名。昭和56年に完成した長野市立博物館は、当時でも例がない特殊型枠(出目地の丸柱等)を使用したコンクリートの打放しで、設計を担当した宮本忠長建築設計事務所が「型枠は井内さんに」と依頼し、八雄さんが快諾して工事が進んだ。八雄さんのような気骨のある職人を大切にしようとの宮本会長や村松貞次郎初代会長らの思いが信州名匠会の立ち上げにつながったという。創設時から、副会長を務めた八雄さんの遺志を継いで、猛男さんも今、副会長を務める。


「本当はこんな立場ではない。皆さんに温かくしてもらってやっている」と謙遜するが、井内さんへの会員の信頼は厚い。技術者が多い名匠会の中で、全体を見渡しながら現場を動かす視点は、ゼネコン時代から鍛えてきたセンスが生きている。

 

 

「売上は大事だが、専門業者はやっぱり良いものをつくること」。そう話す井内さんの悩みは業界全体に及ぶ。職人の技術の衰退を嘆く一方、「現場は職人さんが一番良く知っている。段取りよく工事を進め、良い仕事を残すためにも、工事を統括する現場代理人は、職人との親密な関係を築いた上での、日々の密なコミュニケーションが欠かせない」と語る。「“同じ釜の飯”はないが、人間的な原点に戻らなくては」。そう切実に語った。(栗原直良)

 

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