会報誌たくみ

 

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四季の移ろいが映える雑木主体の
自然風庭園を、信州小布施から発信

株式会社さつき苑(小布施町)
代表取締役 久保敏幸氏

プロフィール/昭和24年10月26日生まれ、62歳。小布施町出身。小布施町並み修景事業一帯の緑化部門、善光寺東庭園、最近はデザイナーの水戸岡鋭治さんと組んだJR博多駅ビル屋上庭園、小布施鈴花庭園など活躍の場を広げている。

 

久保さんは須坂園芸高校の造園科を第一期生として卒業すると、上京して小形研三氏に師事し、技術習得に励んだ。

「一切機械は使わない。セメントを練るにも、あえて使わなかった」。そう振り返る。どんな事にも人海戦術で工夫してやりとげ、今では珍しい三又(サンマタ)や、そり(木製のそり)で運ぶ等していた。

植木の搬入も全てかつぎで、人間の肩でかつぎ棒を使い運んでいた。生半可なことじゃないけど、当時は何とも思わなかった。
例えば、池や流れを造るときも20人位で作業し、掘った土をわずかな時間で10t車に山盛り一杯にする様な作業で、築庭するのが普通だった」。

 

「小形先生のもとには、全国各地から、海外から、その頃で60〜70人位の弟子が修業していた。

毎日の現場が20ヶ所位動いていて、石組みや植栽の時には、先生が『この木はそこだ』と言うと、生徒がパッと植えて、『どうですか?』と聞く。
『よし!』『これは?』『そこだ!』『これは?』『そこ』『ちょっとこっち』『そこだ』と、バッバッバッと、20〜30人が一気に動いて築庭し、施主さんからは小形学校と呼ばれていた」。

 

現在、全国海外を含め200〜300人のOBが第一線で活躍している。

 

日本の庭園は京都が本場。大名や公家だけが庭を造った。
抽象的、宗教的な表現のそうした庭に対して、「自然風」を提唱したのが小形氏や飯田十基氏だ。 「滝の流れや海の州浜を庭の中に修景する。自然を取り込む雑木主体の自然風庭園を広めた」。

 

自然の庭の作庭方法を学び、小布施町に戻ったが当初はギャップに戸惑ったという。 数年は苗木販売等もした。
その後、市村家の仕事や当時小布施町の修景に取り組んだ宮本忠長氏(当会会長)の仕事などを通して、現在に至る礎を築いた。


「当時、日中は仕事をして、深夜トラックで県外へ材料を買いに行くなど、がむしゃらだった。
女の子を4人授かったが、子育てはわたしの父母に任せきりだった。そんな親を見て育ち、現在3人は入社して父の跡を継いでいる。
聞くゆとりを忘れず、細かいコミュニケーションを大事にしていきたい」。

 

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