会報誌たくみ

 

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宮本忠長に学び、名棟梁 中村外二とも仕事
-名匠会の発展支える-

有限会社 N設計
代表取締役所長 西澤嘉雄氏(長野市篠ノ井岡田)

プロフィール/昭和26(1951)年12月6日千曲市八幡生まれ、61歳。建築家として、宮本事務所時代から続く坂城町のまちづくりにも精力的に関わっている。長野市で夫人、娘さん夫婦、お孫さんと5人暮らし。

 

宮本忠長建築設計事務所に33年間勤務した後、独立。実弟が経営する積算事務所をアトリエ事務所に再編。所員6人を抱え、有限会社N 設計代表取締役所長となる。宮本事務所から独立する際に、宮本氏が直々に得意先への紹介状を書いてくれた。「宮本学校」の卒業生としてのお墨付きをいただけたことを誇りに、日々精進している。また、宮本事務所在籍中は宮本氏の命により、信州名匠会創生期から事務局長として、会の発展を支えた。


若き21才で宮本事務所に入社当時受けた二級建築士の試験が心に残る。「湖畔に建つ週末住宅」をテーマに、図面を描く課題で、猛勉強をして本番に臨んだ。「審査員長だった宮本先生に、『すごい図面だ、うちにはすごいのがいる』と
褒められたんです。本当にうれしかった。忘れられない思い出です」と当時を懐かしむ。

 

自他共に認める「木(木造)」のスペシャリスト。「設計者としては、すべての素材、構造をこなしますが、やはり木が大好き。木造のことは、とことん勉強しました」と笑顔で語る。「木は人間と共に生きていくもの。木と共に語り合えば素晴らしい建築をつくることができるんです」と言葉が熱を帯びる。

 

「一年ぐらいかけて図面を描いた」という広島銀行迎賓館(「騰々亭」)では、京都の数寄屋建築の名棟梁、故・中村外二氏と一緒に仕事をした。「中村棟梁が木組みを直に教えてくれたんです。日本の技はすごいと感動しました」と振り返る。「木の選び方を間近で学び、何度も京都に通って数寄屋建築の文化と真髄に触れた」ことが、大きな自信と財産になったという。


 独り立ちはしても、宮本イズムが体にしみ込んでいる。「美・強・用」のバランスのとれた設計を常に説いた宮本氏の言葉を片時も忘れることはない。「絵を描くことはできても、実際につくるのは職人。職人のことを考えた図面(材料の納まり。1/1 のスケール)をいつも意識している」と話す。「そのせいなのか、自然と良い職人が寄ってきてくれるんですよ」と笑う。

 

 

 信州名匠会については、「高齢化が大きな課題」と指摘。「技と自分を磨きたいと考える若くて良い職人は、県内にもまだまだいるはず。信州名匠会が、そうした職人たちが集う場の受け皿であってほしい」と強く願う。(関 卓実)

 

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