伝統構法、自ら構造計算し、形に
独学で、日本の建築文化を支える
小坂建設株式会社 代表取締役
小坂浩一氏(長野市松代町)
プロフィール/●昭和42(1967)年10月9日、長野市生まれ、56歳
伝統構法に真正面から向き合い、設計から施工まで一貫して手掛ける。構造計算も自ら行い、市販のソフトは使わない。エクセルに数値を入力して行っているという。
「ただ、伝統だから良い、というのは行政には通用しません。そこはやはり、力学的な根拠をもとに説明できないと」と真剣な面持ちで話す。
伝統工法の家づくりを熱く語る小坂氏
小坂建設は、建設会社に務めていた父の正隆さんが独立して創業。浩一さんは、将来、会社を継ぐため、大学を卒業後、大手ゼネコン・前田建設工業に入社。「木造ではなく、SRC でした」が、やがて家業を継ぎ、住宅建築に携わる。
当時は「プレカットで家を建てていて。なんとなく違うんじゃないかと思っていました」。
伝統構法に本格的に取り組むようになったのは、ある設計士の一言だったという。「手刻みであれば伝統構法って言うけれど、『それは本当の伝統構法じゃない』と言われ、えっ、となって、調べてみると、貫構法で、本来、通し貫でやるということを知って。それがきっかけで、どんどんのめり込んでいきました」と話す。
「独学で、習得するのに4年くらいかかりました。」と振り返る。
「その4年間は本当に大変でしたね」。
当時、すでに1級建築士の資格は取得していたが、伝統構法はまったく勝手が違う。「猛勉強の日々でした」。
その伝統構法について「あらゆるところに気を配らないと成立しない」と説明する。
「渡りあご(仕口の一つ)で、力を上手く下へ渡していくことも考えないといけない。重なったときに、下の木が上の木よりも梁背が小さいとこぼれてしまうし、下の木を大きくすると、逆に無駄が出てしまう。
当時、伏せ図を描くだけで2カ月くらいかかっていました」と言い、「木一つ一つの仕口や継ぎ手が2次元ではなく、すべて3次元なんです」と、形にしていく過程の難しさを、そう表現する。また、「土壁でつくりたいとなっても、国の基準法上の耐力壁扱いにするには、竹小舞で編んだものしか使えない。
それが、北信では葦でやっていて、つまり、通らない」。伝統と法律の間のギャップからクリアすべき課題は多く、「苦労は多い」という。
「普通の家なのに、ここまでやる必要があるのか、といつも思っています」と自嘲気味に話すも、伝統構法に対する信念は揺らがない。描いた図面を形にするベテランと若手の3人の大工とともに、「長野県下の伝統構法に携わる若手大工の皆さんも仲間として一緒にやってくれる」と嬉しそうに語る。
こうした努力の積み重ねが結実し、長野県の令和3年度"信州の木" 建築賞で、手掛けた「力石の家」(坂城町)が優秀賞を受賞している。(栗原直良)
作業場で若手職人の柳澤氏(左)を見守る小坂氏