会報誌たくみ

 

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伝統の技で社寺建築を 未来につなぐ
会社設立10周年、さらなる飛躍目指す

株式会社むね工房 代表取締役

高橋 志行氏(長野市若槻) 

プロフィール/●昭和54(1979)年5月17日、長野市生まれ、46歳

 

善光寺大本願や穂高神社の出入職として認められるなど、県内外の神社仏閣の新築や改修、修復工事を多く手掛けてきた。

中村建築研究所(長野市)の2代目社長を務めた父の影響もあって、「小さい頃から寺を見るのが好きだった」。ただ、自身は設計ではなく、建物を建てる大工の道を選択。高校卒業後、長野技術専門校で木造建築を学び、20歳で宮大工の川又健棟梁(現寺 島工務店)に師事し、腕を磨いてきた。

「最初の頃は、やっぱり厳しかったです。14~15人いた弟子の中で自分が一番小僧でしたから」。

時には泊まり込みの現場もあり、「料理や洗濯などの雑用は丁稚奉公みたいに、なんでもこなしました」。

思い出深い仕事は「善光寺雲上殿の管理棟」。「材木の調達に始まって、加工、墨付け、納品まで全て責任をもってやりましたね。自分でもやるけど、棟梁として、いかに人にやってもらうかを 常に考えていました。

あの時の経験が今に生きています」と語る。

 

施工した別荘が掲載された雑誌を前に話す社長


平成26年に「むね工房」を設立。

「当時35 歳で、軽く考えていて。がむしゃらだったので、あまり覚えていませんが、車両もないし、身辺整理もしないとで、やっぱりお金の面で苦労しました」。

 

令和元年には「東日本台風」(19 号台風)で決壊した千曲川の水が会社を飲み込んだ。「車両も機械もダメになって」。自身が屋根を修理した神社も被害にあったという。「直したばかりで、本当に かわいそうだったので、再建も必死にやらせていただきました」。 災害に見舞われながらも、会社は順調に成長。「もう今年で10周年です」。

 

木造建築、中でも社寺建築を得意としてきた。文化庁が手がける案件で声がかかることもあるという。

焼失した首里城の修復作業の依頼があったが、「さすがに沖縄に行きっぱなしになると、こちらで何かあったときに対応できないので、断念しました」。

 

東日本台風時には、ある宗教法人からの依頼で金箔張りの社殿の仕事を手がけていた。「丸柱も垂木も金箔で、とても豪華で、台風が来るというのですぐに材料を避難させて、やられずに済みました。

その時の仕事が評価されて、また声をかけてもらえました。仕事を見て次につながっていくということを体感できた 良いケースですね」。

 

最近は、大手ディベロッパーが建設する都心のマンションに神社を合築する案件や、千葉県の寺を手がけるなど県外の仕事も多い。

「県内と県外の比率は年にもよりますが、最近は、ほぼ半々くらい。元請のときもあれば、下請で入るときもあります。全国に仲間がいて、横のつながりで、おかげ様で仕事が途切れずにいます」と話す。

 

さらに、近年は軽井沢を中心としたリゾート地の別荘などで「特殊な建築の依頼も増えてきました。いろいろな地域の仕事をやらせてもらうと発見も多く、一つ一つの仕事が 良い経験になっています」

(栗原直良)

 


 

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