会報誌たくみ

 

定例研修会報告 平成22年度

 

平成22年度 第9回研修会

「伝統工法土壁の家」農中邸新築工事現場見学会

開催日/平成23年5月28日
師/尾日向辰文 氏(尾日向辰文建築設計事務所所長)
////宮澤郁夫 氏(宮澤建築 棟梁、当会理事)

安曇野市松川で建設中の伝統工法による土壁の家を見学させていただいた。
設計者の尾日向氏から設計主旨、建物の概要について、棟梁の宮澤氏から今回の工法の概要とポイントや工夫等についてお話を伺った。
2階建ての住宅で、4.5寸勾配の切妻屋根をかけた6間×6間の田の字型の真ん中に、2層の吹抜けの茶の間があり、その周りに各室が配置された。

 

宮澤氏からは工法について、「筋交いや金物を使用した建物に比べ、貫を用いた工法は変形には弱いかもしれないが、最終的な耐力は強い」「ケヤキの赤味の強いところは堅く込栓に使うが、ナラなどの柔らかいものはいっしょに引き抜かれてしまうため、込栓には向かない」・・・このように木材は適材適所、使い分けに気を付けていること。また、「込み栓の位置や幅を工夫することで、抵抗力と、柔軟な部分を持ち合わせたものになること」等、興味深いお話を伺った。

 

「尾日向氏のように伝統工法の特質を十分に理解し、図面を描き、職人に場を提供してもらえることが大切であり、設計者には職人を育てるという意味も少し意識して、若い職人たちに工法を引き継いでいっていただきたい」と語った。
降幡廣信氏(当会副会長)は総評として、「創作だけでなく、日本の伝統を引継ぎ、その伝統をそれぞれ創意工夫して、伝統として次の時代へ引き継いでいく。過去から未来へ中間的な立場に立たされていることを心にとめながら励んでいくことが大切である」と結んだ。(文・唐澤尚生)

 

平成22年度 第8回研修会

「ろくろ」に挑戦

開催日/平成23年4月23日
師/村越 久子 氏(信州名匠会顧問)

会員の家族や仲間も含め大勢に参加していただき今年も恒例の「陶芸教室」が行われた。
咲き始めた桜と渓流の景色を楽しんだ後、自己紹介を交えながら和気あいあい村越先生に用意していただいた昼食をいただいた。
4月に宮本忠長建築設計事務所を退職され、同時に名匠会事務局を辞める川向涼子さんに今までの感謝を込めてお祝いが贈られた。

今年は、会員の希望もあり、はじめて「ろくろ」に3人が挑戦。
村越先生に手取足取りご指導いただき、はじめてとは思えない作品が出来上った。
また、それ以外の参加者も、事前に構想を練ってきて、淡々と制作に取り掛かる者、参考の作品を見ながら村越先生とスタッフの皆さんに教わりながら手探りで造り始める者。それぞれ無心にものづくりの楽しさを感じながら2時間ほどでそれぞれ個性的な作品の形ができあがった。

この後2ヶ月かけて乾燥、色付け、焼きをしていただき完成した作品が総会の会場に展示さる。
参加者はどんな作品に焼きあがるか楽しみにしてる。

 

平成22年度 第7回研修会

「会員集会」-これからの信州名匠会を考える-

開催日/平成23年3月23日

グループディスカッション、グループ発表と活発な意見交換がされた。

信州名匠会は、今年19年を迎え、今後を見据えた会の運営・事業の方向性等を会員みんなで考えて行く必要があるとの認識から、今回初めて「会員集会」が行われた。

初めにくじ引きで5グループに分かれ、資料として配布された検討課題について、一人一人の意見を付箋に書き留めた後、グループディスカッションに入り意見交換を行った。休憩をはさみ、各グループの代表者が、それぞれグループで話し合われた内容を発表した。

「会員の仕事を観たり発表するような研修会を増やしたらどうか」「青年委員会・育成部会のようなものを新設し若手本会員予備軍を育てたらどうか」と言った、具体的な案が多く出され、活発な意見交換の場となった。

今回の意見(要約)がその後会員に配布され、さらに理事会でこれらの意見を生かした来年度の計画方針が話し合われ、次年度の総会議案を作成する。次年度も、今回のような会員の意見を聞く機会を増やし、より有意義な会にして行く方法・知恵をみんなでだして行きたい。

 

平成22年度 第6回研修会

「宮澤さんの住まい」-そと・うち 環境を考える-

開催日/平成23年2月17日
師/

西澤広智 氏(宮本忠長建築設計事務所 設計長)
嶋本耕三 氏(宮本忠長建築設計事務所 設計主任)
国分裕志 氏(信越ビーアイビー㈱ 工事部長)

住環境を考える―断熱工法再考

 

約15年前から西澤氏が携わる長野市近郊の新興住宅地「四季の杜」は、206戸の住宅分譲地である。「四季を感じ気持ち良い環境で暮らせるまち」を目指し「ソトはみんなのモノ、ウチは自分達のモノ」という理念を住民みんなが共有して、ひとつひとつの住宅を造ることを試みた。

まちの景観・環境を整えるため住民協定をつくり、各住宅の建設時には、施工者・施主に「住宅相談室」に来ていただき、建物と建物の関係性、間の空間についてアドバイスを受けてもらう仕組みを作った。結果、通常の新興住宅地には無い、緑豊かな環境・コミュニティーの形成がなされた。


建物を計画する時、建物のことしか考えないことが多いが、常に向こう三軒両隣、周りとの関係を考えることの重要性について改めて語られた。
宮澤さんの住まいは、この「四季の杜」の最終盤、一昨年に竣工した。四季の杜の理念に従い、通りに面し車庫の形態、緑地の取り方等十分に配慮された。敷地形状を生かし、建物東側に細長い庭が取られ、光が十分取り入れられる、風通しの良い家となっている。


この庭は、内部空間と一体に感じられるよう計画され、4本引き分け(開口4.8m)の大開口の木製サッシュが設けられた。最近の省エネルギー住宅は、熱負荷が大きい開口部を小さくしてしまう傾向があるが、太陽、自然の恵みを拒んでしまうのは本末転倒である。


このような、四季を感じられる開放的なプランで、夏冬通して快適に暮らせてしかも省エネルギーに配慮した住宅とする観点から、建物の断熱性能は重要である。


宮澤邸では、断熱専門業者である信越BIBが施工にあたった。国分氏から断熱工事の重要性、ポイントを宮澤邸の現場写真を使って説明いただいた。開口部も含めた断熱性能、住宅の寿命を著しく縮めてしまう内部結露を防ぐために内部側の気密層の重要性、外壁・屋根の外部側通気層の重要性について熱く語られた。


断熱性能のしっかりした空間は、床・壁・天井の輻射熱で、冬は低温で、夏は高温でも体感として快適に感ずるという。
木造在来工法で、安易に所定の厚みの断熱材を入れれば事足りると思っている建築関係者がまだいるが、その危険性について語られた。本来の木造伝統工法(土壁木舞壁)の良さを見直し、この工法にあった断熱方法についても考えていくことも今後必要性である。

 

最後に、今回採用された、空気ヒートポンプによるオール電化、冷暖房・給湯システムについて、宮澤邸の設備を担当した、ライフエンジニアリングの宵野間社長から説明いただき、実際のランニングコストについても報告された。

 

新年会

開催日/平成23年1月19日、ホテルJALシティー長野 「四川楼」

会員同士の親睦を図り、一年の抱負を語り合う信州名匠会新年会が、例年にならって開催された。井内副会長から「技を持つひとの集まりである信州名匠会のあり方をみんなで考える年としたい」の年頭のあいさつがありました。


つづいて、村越先生には、縁起の良い「上州高崎 福だるま」を頂戴し、西澤嘉雄さんからは、武水別神社 八幡宮の福御守を添えて頂いた。厳しい社会情勢の年、匠の知恵で前向きに仕事に臨む元気をいただいた。

平成21年度第4回研修会で茶の作法について学んだことをきっかけに茶道具にも関心を持っていただこうと村越先生に用意していただいた先生の茶碗を鑑賞しながら、今後の名匠会についての意見交換をまじえ会員同士の懇親を深めた。

 

平成22年度 第5回研修会

松田家資料保存整備事業 現場見学会

開催日/平成22年12月11日

今回の研修会は、千曲市八幡の武水別神社西側にある松田家の保存整備事業を見学した。松田家は武水別神社の神職の家で、約2000坪の敷地内に20を超える建物が存在する。
地元在住で事業に当初から関わってこられたá泣Gヌ設計の西澤嘉雄所長が講師を担当された。明治時代に時の県知事を招待するためにつくったという「新座敷」で話を聞いた。当日は、武水別神社の新嘗祭、「大頭祭」の日でもあり、お祭りのにぎわいも味わった。

松田家の館跡は、東西約70m、南北約90mで、約2000坪の敷地の南北西側には高さ約3mの土塁や、その廻りに堀も築かれ、中世の居館跡と推定されるという。
発掘調査によると土塁は16世紀に築造されており、場所からも激戦だった第4次川中島の合戦をしのばせる遺構といえる。

平成16年には主屋が県宝に指定され、松田家では一帯を市に寄贈。江戸時代後期から明治期にわたって建てられた建物群や、堀、土塁のほか、一万数千点にのぼる古文書や書画、什器の散逸や滅失を防ぐため、市は17年から保存、整備事業を進めてきた。 平成18年には県の史跡に指定されている。
敷地内にある20を超える建物群のうち、主屋、料理の間、新座敷、味噌蔵、おたや(産屋)、西の蔵などがすでに復元を終えており、見学会当日は、隠居屋と北の土蔵の再生工事が進められていた。さらに、収蔵庫も新築されるという。
市ではこうした修理工事を25年度までに完成させ、26年度から全体を博物館として公開する予定だ。

県宝に指定された主屋は、今回、資料整理のため、中を拝見することはできなかったが、建築部材の仕上げや建物の特徴から18世紀の建築とされ、19世紀に前半に現在の姿に改造されたものと考えられるという。
味噌蔵は、棟木に寛政6年(1794年)の墨書きが見つかっている。料理の間は炊事用の建物で、西側の堀からこの料理の間を通って東側の堀へと流れる水路が引かれており、脇に設けられた洗い場には水が溜まっていた。
おたやは明治期に建てられたもので、お産や生理の忌み汚れを避けるために主屋から離れた位置にある。現在、整備中の北の土蔵は明治24年(1891年)の棟札があり、味噌蔵として使われたものとされている。

武水別神社では、西澤さんが手がけられた日本で一番大きい算額も拝見した。
算額は江戸時代の数学「和算」の解を記したもので、新しくなった御供所に高々と掲げられた様子は大変、迫力あるものだった。
やがて境内に子どもたちが大勢集まってきて、大頭祭の華やかさも堪能した一日だった。

 

平成22年度 第4回研修会

軽井沢 レイモンド設計
(旧足立別邸・軽井沢の新スタジオ)見学会

開催日/平成22年10月23日

今回は、JIA長野県クラブまちづくり委員会主催の本年度第二回 まち並みウォッチングに信州名匠研修会として参加した。

午前中は、ミネベア㈱のゲストハウスである「モミの木の家」(旧足立別邸)を、約1時間建物の内外をじっくり見学した。

広報室の桑野氏によると、当初この建物を取得した時には、保養所の敷地に隣接したこの土地に、変な建物が建てられないために取得したものであり、建築的に貴重なレイモンドの作品であるという認識はなかったという。
そのため、何年もの間、取得したままで利用されずいたが、数年前、レイモンドの展覧会に際しレイモンド事務所からこの建物の価値をしり、内外の改修を行った。構造体はほとんど手を加えず、主に屋根と外壁の改修で済んだという。
丸太組みの独特の空間、レイモンド夫人による、魅力的な作り付け家具等、設計の素晴らしさと、職人の技術に一同関心しきりであった。

午後は、レイモンドの夏の仕事場であった、「軽井沢の新スタジオ」を、レイモンドの弟子である北澤氏に案内いただいた。
北澤氏はレイモンドのスタッフとして、このスタジオで過ごし、レイモンドが帰国する際にこの建物を譲り受け、その後も使用していた状態とまったく変りなく保存なさっているとのことである。

レイモンドは、一般的な大工の経験に頼った大きな材料で飛ばす工法のではなく、末口3寸5分の細い杉丸太を組むことで魅力的な空間を造り出すことにこだわったという。
会員との会話の中で、設計者・職人のこだわりについて大変興味深いお話を長時間伺うことができた。

また、吉村順三が自分の作品を持って何度も訪れた逸話などから感じられる弟子を思うこころ、当時日本に無かった建材を日本で造ることにこだわった日本の企業を育てるこころ、日本の民家から学ぶこころ、こういったことがレイモンドの素晴らしいところと思うと語った北澤氏の言葉が心に残った。

 

平成22年度 第3回研修会

小布施まち並み修景事業
「かんてんぱぱショップ小布施店新築工事」現場見学

開催日/平成22年9月25日

萱葺きの古民家曳き家工事を学ぶ

池田家は明治中期頃小布施町中町の現在地に移り、精米業等を営み、昭和初期に村長を務めた池田文平は、小布施松川の新生療養所の建設に尽力した。母屋の萱葺き部分は、池田家がこの地に来る以前、江戸末期から明治初期に建設されたと思われる。南東土蔵風建物部分は、土蔵を曳き家か移築し合体したものと思わるが、土蔵(大)と共に池田家が来た時にはすでに存在したという。昭和10年代初めに西側瓦葺き部分と土蔵(小)が増築された。

写真資料によると、昭和30年代初頭まで、現在の敷地東側国道403号線には、池田邸のような萱葺きと瓦葺きからなる建物が小布施のこの地域では多く見られたことがわかる。また、各住戸宅内には、さまざまな樹木が植えられ、美しい景観を形つくっていた。国道が拡幅され建て替えが進み、現在では、町中心部で茅葺民家はほとんどなくなり貴重な建物となっていた。

2005年に、現在の池田家当主の叔父にあたる青木氏から宮本忠長に痛みの激しいこの建物に手を入れて小布施町に利用して残したいとの相談があった。青木氏は宮本の旧制中学時代の旧友で大変親しい仲である。

宮本は町に相談したが、町の施設として改修・維持管理・運営していくことは財政的に難しいとのことであった。

青木氏と同じく宮本の旧制中学時代の旧友であった、桜井甘精堂の桜井会長にも相談し、民間で事業会社を立ち上げ、テナントを誘致することを模索した。

 この地区が、北斎館周辺のまち並み修景ゾーンともう一つの核となることの重要性を考え、「第2のまち並み修景計画」としてのコンセプトを明確にしたこの地域の全体計画を作成した。狭い歩道をゆったりとした安全な歩道にするため、池田邸萱葺き部分を西に曳き家し、長年の道路工事により、県道より低くなってしまった建物を、道路レベルまで嵩上げし、店舗に改修することを考えた。2棟の土蔵も改修して利用し、これらの前庭を公益性の高い空間として整備することとし、これらの事業費をもとに、この計画の趣旨を理解し事業に参加してくれる企業をあたった。

事業費の負担の軽減を図る目的で、まちづくり等の補助金を検討し、2009年春「中心市街地再生支援事業」の補助金が受けられることとなった。この申請にあたり、「中町まちづくり委員会」を結成し、事業の具現化を図っている。

「中心市街地再生支援事業」は、「北斎館周辺まち並み修景地域」とは異なった魅力を持ったまちづくりによる「多くの来訪者が中町地区の資源を堪能し、住んでみたいと感じる「商業」と「生活」が調和した空間づくりを行うものである。
①小布施ミュージアムへの中町ギヤマン通り、松葉屋から栗の小径へ繋がる小径等、回遊空間の整備事業、②今計画地西部分の池田家駐車場、桜井甘精堂外部テラス、松葉屋中庭等、イベント(住民主体のフリーマーケット等)広場の整備事業、③古民家活用事業を主な事業、を柱として計画策定を行った。

そして、2010年1月、伊那食品工業が、池田家の母屋を改修し、かんてんぱぱショップ小布施店とすることに決定した。

その計画概要は、①母屋と土蔵1棟をかんてんぱぱショップ小布施店・ギャラリーに改修②西側土蔵1棟を改修し中町まちづくり委員会が使用(利用方法検討中)③母屋と2棟の土蔵の前庭をオープンガーデン・テラスとして整備、④国道403号線沿いの歩道を拡幅、敷地南側に歩道の新設、敷地東側の栗ヶ丘小学校まで通学路となる歩道の新設、⑤敷地西側、池田家駐車場を、フリーマーケットや、イベントのできる「ひろば」に整備、である。
これらが一連の空間として整備され、来春にはほぼ完成する予定である。

今回、曳き家工事真っ最中の「かんてんぱぱショップ小布施店」の現場を見学した。

母屋茅葺部分を基礎工事施工のため1m持ち上げ、西に曳き家する段取りがほぼ完了したところであった。 最終的に、母屋の茅葺部分を西に4.8m、南に0.7m、移動し、新設コンクリート基礎の上に下ろされる。(建物レベルは以前0.35m高くなる)

曳き家工事を担当する、金田工業の金田氏に曳き家の仕組み、難しさ、面白さを語っていただいた。今回は根絡み工法を採用し15ヶ所の10t・20t手動ジャッキを使用している。
金田氏は電動ジャッキでは無く手動ジャッキを使用することで建物の重さを感じられ、異常を察知することができると言う。
また、今回の建物は茅葺のため雨で茅に水を含むと大変重くなり大変であるが、逆に軽い建物は風で動いてしまう危険性があり怖いこと、曳き家工事は、2つ先を見越して仕事をしないとダメであり、楽をすると2つ先の工程で苦労するので、一つ一つの工程において労を惜しまず丁寧に行うことが大事であること等、大変興味深い話を伺うことができた。

この見学会の翌週、10月2日、母屋を西に4.8m曳き家する工程を、名匠会有志で再度見学させていただいた。
金田さんの許可をえて、数人がウィンチを廻し、一人の力で簡単に動いてしまうことに大変驚いた。
また、この日と、数日後、体感地震があったが、異常なく順調に作業が完了した。金田さんによると、ワイヤを張った状態では、震度6でも大丈夫と言う。経験に裏づけられた匠の技術・知恵に感服。

 

平成22年度 第2回研修会

長野市民会館 見学

開催日/平成22年8月28日

今回は、JIA長野県クラブまちづくり委員会主催の本年度第一回 まち並みウォッチングに信州名匠研修会として参加した。長野市民会館2階ホワイエに全員集合し、JIA長野県クラブ 丸山副会長のあいさつの後、坂田専務理事から、今回の研修会のように信州名匠会とJIAの交流が行われることの意義についてのお話があった。その後、2班に分かれ見学が始まった。ホワイエで、当時の実施設計図、構造計算書、竣工写真、当時の新聞記事等を観覧した。

長野市民会館は、市政60周年事業として市費、厚生年金積立金の環元融資、寄付金によって計画され、郷土が生んだ建築家、早稲田大学の十代田教授が建設委員会顧問となり、当時、ホール、音響の第一人者であった佐藤武夫が設計を行った。担当は、当会会長の宮本忠長である。当初の基本計画は、市民会館、市民広場、市庁舎の一連の計画がなされた。現在とは異なり、市民広場を中心に、東に市民会館、西に市庁舎高層棟、南にこれらをつなぐ市庁舎議会棟で構成されていたことが図面資料から解かる。そして最初に竣工したのが長野市民会館であった。この多目的ホールは長野市周辺町村の文化コミュニュケーションの場として要望され、昭和36年4月に竣工した。

この建物の特徴は、現場打ちコンクリートV型梁の採用(スパン30m)、西陽に直面するホワイエの明るさの抑制のために考案された、正面ファサードの孔明きPCブロックのトレサリー、市民会館東側を走る信越本線の音に対する遮音上の目的で採用された、外壁煉瓦張り(ようかん積み)等である。宮本会長によると、色ガラスがはめ込まれたトレサリーは、陽光きらめく千曲川をイメージしたものであり、外壁煉瓦は、当時明科にあった煉瓦工場の制作したものである。

2階ホワイエから外部→1階機械室→楽屋→調光室→キャットウォーク→報道室→舞台→映写室→大接室→集会室と、普段観ることの出来ない市民会館の隅々まで見学させていただいた。
 煉瓦の一枚のテクスチャーを活かした内外煉瓦積み、穴開きPCブロックにはめ込まれたスチールサッシュのディティール等、当時のものづくりに対する情熱をつよく感じた。

最後に、現在の長野市民会館館長である笠原さんから、閉館までの時間を大事にして市民会館を多くの人の記憶の残るようにしたいとの言葉をいただき見学会を終えた。

また、午後は自由参加で、長野市東町で使用しなくなっていたビニール工場を、建築家・クリエーター等7名で組合を作り事務所として活動を始めている「ボンクラ」を見学した。
古い民家を利用し始めた人々の活動の場も見学した。大変暑かったが大変貴重な体験ができた。

 

平成22年度 第1回研修会

諏訪大社秋宮を参拝 「日本の文化再考」降旗副会長語る

開催日/平成22年7月25日
師/降旗廣信 氏(建築家・信州名匠会副会長)

今年第1回目の研修会は、7年に1度の御柱祭が盛大に行われた諏訪大社下社秋宮と、旧中山道の脇本陣にある御宿「まるや」を訪ねました。

秋宮は現在、改修工事が行われており、宮司さんの案内で左片拝殿の屋根の葺き替え現場を見学させていただきました。桧皮葺の屋根の葺き替え作業の現場では、職人さんの真剣さが、周囲にも伝わって、空気がピンと張り詰めたような、そんな通常ではなかなか見ることの出来ない貴重な体験をさせていただくことができました。

降旗副会長が手がけた脇本陣の御宿「まるや」では、降旗副会長が「日本の文化」についてお話されました。降旗副会長は、李登輝元台湾総統の言葉を引用して、日本の文化は「自然との調和」「高い精神性」にあると話されました。日本の家は、塀の内側に庭を設け、部屋の延長に位置づけることで、自然を内側に取り入れている—。また、お客さんを迎えるときに、手をついて膝を折って「ようこそおいでくださいました」と迎える行為や、習い事、たとえば茶道や書道、華道、あるいは柔道や剣道などのスポーツの姿勢に、心のあり方を高める精神性がある—とされました。
お話を聞いた後、お膳の料理と桧の風呂の湯をいただいて、皆、お腹をいっぱいにした研修会でした。

 

平成22年度 第18回総会

たくましい「たくみ」の会として成長を

開催日/平成22年6月23日

信州名匠会(宮本忠長会長)は6月23日、長野市のメルパルクNAGANOで第18回通常総会を開き、平成22年度の事業計画などを決めた。
あいさつに立った降幡廣信副会長は、「一つ一つの節目を大事にしていくことで名匠会がたくましく成長し、存続することができる」として、会員に研修会等の活動への一層の協力を求めた。

 

平成22年度事業については、技術の伝承や後継者の育成に関する事業のほか、優れた職人の発掘や紹介、会報たくみの発行、「信州名匠会たくみ文庫」の編集出版、県産材材料の調査や研究発表などを行うことを決めた。
スリースター制度では、40人が新たに認定を受けた。
総会後の講演会では、東京理科大学理工学部の川向正人教授から、「小布施町・まちづくりの軌跡~チャレンジの積み重ね」と題して、住民主体による町並みの修景についてお話を聞いた。

 

 

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