会報誌たくみ

 

定例研修会報告 平成23年6月~

 

新年会

開催日/平成24年1月18日、ホテル犀北館

本年は、会場を犀北館に移し信州名匠会新年会が行われ、会員同士が親睦を図り一年の抱負を語りあった。
降幡副会長の年頭のあいさつでは、かつて名匠会の会合で、故 村松貞次郎先生から村野藤吾先生を例に励まされたエピソードを紹介され、「今年も前進あるのみ、自分も村野先生より一年でも長く頑張る」と会員にエールを送った。

会場では、欠席された村越先生から送られた「上州高崎だるま」と「龍の張り子」が会員全員に渡され、今年を良い年にすることを祈念した。
また、昨年入会された、クロサワメタルの黒澤忠氏に抱負を語っていただき、会員それぞれに懇親を深め、今年の希望を語り合った。


最後に土本副会長から、「どういう人達がいれば良いものが創れるのかが重要となり、人づくりが名匠会の大きな目的となる。若い人に志を伝えよ」と締めくくった。

 

平成23年度 第5回研修会

「明治の洋風建築」旧開智学校と山辺学校見学会

開催日/平成23年12月17日

当会副会長、降幡廣信氏の案内で、松本市の旧開智学校と旧山辺学校を見学させていただいた。


棟梁立石清重が新しい時代を象徴する建物として見よう見まねで造った開智学校は、明治8年に建てられた擬洋風の建物として極めて特徴的だ。

 

玄関にバルコニーがある建築はそれ以前には日本に存在しなかったという。その屋根部分には伝統的な唐破風を用いている。表面を塗装する西洋建築に対して開智学校は塗装しながらも木目を模様にしたり、外国から輸入したガラスを装飾に使い「ギヤマン学校」と呼ばれるなど装飾過剰な部分も見て取れる。「その異様なたたずまいに、完成時、目の色を変えた父兄の姿が思い浮かばれる」(降幡副会長)。

 

開智学校の10年後に宮大工の佐々木喜重によって建てられた山辺学校も同じ擬洋風ではあるものの、社寺風の玄関や屋根、壁など、開智学校よりも「和」の趣きが強い。

 

明治5年に学制が発布され、全国各地で小学校が建設されることになった。開智学校が建てられた明治8年には筑摩県内に656校の小学校があった。就学率は71%で、設置校数、就学率とも全国1位だったそうだ。

 

寺子屋が西洋建築の学校に変わり、「教育県」を象徴した開智学校。山辺学校との対比によって、その特徴がより浮き彫りになった。

 

「それより前にも以後にも、そこに見られる特徴がほかで使われなかったところに面白味がある。近代日本のスタートとなった明治時代を振り返って仕事をしたい」との降幡福会長の言葉が深く心に残った見学会だった。

 

 

平成23年度 第4回研修会

千曲市森将軍塚古墳館

開催日/平成23年10月29日
師/千曲市 学芸員 小野紀男氏

今回は会員委員会の企画で「地元長野の歴史を識る」というテーマで千曲市の森将軍塚古墳館を訪れました。
古墳館の前より施設のバスに乗って急坂を登ると眼下に復元された古墳と善光寺平が一望できました。
天気もよく壮大な眺めに、参加者からもここに埋葬するよう願った有力者の気持ちがうかがい知れる思いだったようです。


今回講師を務めていただいた、小野学芸員から現地で詳細に説明をしていただきました。


この古墳は教科書にも載っているらしく、本来の姿に復元された唯一の古墳で、学校の生徒や学生が数多く訪れる人気の施設とのこと。
この位置は、東は関東から、南は中信を経由して関西から、北は越後から、街道の結節点となっていて、交通、物流、文化の集まるところでした。
また、米の生産が多く、埋葬品からも大和王朝と結びつきの強い大規模な地域の有力者であったと考えられています。


1981年から発掘調査が始まり、2008年に復元が完了しました。表面を覆う葺き石は約8万個あり、積み方が変わらないように1人の職人が3年かかって積んだそうです。


石の3割はオリジナルのもので近くの石英斑岩です。残りは新たに搬入されたものとのこと。復元されたあと3年たつと、北側の葺き石が崩れてきて、雨や凍害でいたんでいく過程がよく分かったとのこと。南側はいたんでいないようです。


はにわはほとんどが壊れていて、破片を集めてみると、おおよそ3t使われていたようで、150~200本備わっていたと分かりました。現在は瀬戸焼の磁器質レプリカとなっていて、耐久性を高めているそうです。中にははにわを的に見立てて砂利を投げる見学者が多く、傷ついたはにわもありました。


古墳館に戻ってから、石室の原寸復元模型を見ながら説明していただきました。
使われている石は、石英閃緑岩で5km先の倉科地区のものだそうです。300m3使われていて、当時、人力でしか運搬できなかったことを考えると、相当な労力を傾けたことが分かります。石室の天井石はオリジナルは1枚だけ残っていて、他のものは盗まれて個人宅の景石や水路の橋に使われてしまったようです。オリジナルの1枚は古墳館の展示の中に現存しています。他はよくできたFRPでした。元の位置にない石室の石はこの展示の中に使用され、展示にまつわる建物の建設当時の裏話も交えて、楽しく説明を聞きました。


石室は赤く塗られ、材料は壁にべんがら(松代で採れる)と床に硫化水銀(秩父・飛騨のもの)を使用されているとのこと。赤は魔除けの意味があり、床と壁とで発色の違う材料を使ったことも意味があるようです。その名残が紅白の幕となって現在に伝わっています。


今回の研修会では、身近にこのようなすばらしい施設があり、また、歴史の楽しさや奥深さを知ることができ、とても有意義な研修となりました。
講師の小野学芸員には普段相手にしない建築職人に、分かりやすく興味を引くような解説をしていただき、本当にありがとうございました。

 

平成23年度 第3回研修会

「長野市立博物館」見学会 
―長野市立博物館のできるまで―

開催日/平成23年9月24日
師/西澤 広智 (宮本忠長建築設計事務所 設計長)
    西澤 嘉雄 (N設計 所長)
    井内 猛男 (井内工務店 社長)
    青木 信照 (当時現場副所長、元守谷商会)

今年の5月にJIA25賞を受賞した長野市立博物館の見学会「長野市立博物館のできるまで」が行われた。長野市立博物館の会議室にコンペ時の図面、パース、竣工時の資料等が展示され、そこで、西澤広智氏より、「JIA25年賞とはどのような賞か」「長野市立博物館のできるまで」の概要について説明された。


長野市立博物館は、県下初の公正な指名設計競技によって当会会長 宮本忠長が設計者に選ばれた。このコンペの審査委員長であった村松貞次郎(初代 信州名匠会会長)先生の「長野市立博物館に携わったような情熱のある長野県内の職人を「ものをつくる」という共通項で場を作って継続してみては」という助言で信州名匠会は発足した。
引き続き、工事写真を見ながら、当時の工事の内容、ポイントについて説明され、各講師それぞれから当時のエピソード等、大変興味深い話しを聞くことが出来た。


「風雪に耐え長持ちする建築」とするために、軒の出の深い耐候性高張力鋼板の大屋根となり、寒冷、凍結、雪氷に強い技法ディティールが工夫されたこと、「風土に忠実に多くの市民から親しまれる建築」とするために、コンクリート打ち放し仕上げに技芸が加えられたこと、また、そのために大変な苦労、工夫が必要であったことが説明された。

そのひとつに丸柱の丸型化粧出目地がある。この太さの丸柱の型枠は普通4枚のコンパネの継目の凹目地納まり、手指が切れる危険があると現場試作にてわかった。凹目地の両側に丸型出目地を作って保護をすることによって、荒々しいコンクリート打ち放しが、人が手を触れられる仕上げ材に変わったという。


当時の現場に携わった五十嵐さんの言葉が井内さんから紹介された。30年前、長野市立博物館の現場では互いに知恵を出し合い、協力し、設計者・施工者・職人がひとつになっていた。出目地は設計事務所、JVの間でできるかできないか議論が続いたが、結局職人の「おもしろいからやろう」という心意気で結論が出たという。


また現在の現場の問題として、設計図、施工図がCDによる図面となり、図面が完成すればそれだけで現物ができるだろうと思い込んでいる経験不足の施工現場員・設計者が増え、納まりを見通す施工面を考えたもので無くなってしまったことを指摘した。

研修会後、自由に博物館内を見学し、丸柱の出目地や壁面のはつりを実際に触って確認した。現場の様子を聞いたあとに館内を回ったことでさらに理解が深まったようだ。
「信州名所会」発足のきっかけとなった「長野市立博物館」の見学会は、会員に改めて「たくみ」の技と心意気の大切さを投げかけた。

 

平成23年度 第2回研修会

小布施 まち並みウォッチング

開催日/平成23年8月27日

JIA長野県クラブまちづくり委員会主催の本年度第一回 まち並みウォッチングに信州名匠研修会として大勢が参加した。小布施町役場に集合、JIA メンバー、家族も含め45名、宮本忠長建築設計事務所 西澤設計長の先導で、今年一部が完成した「小布施町第2町並み修景事業」のエリアと、約30年前に始った「小布施悠然楼周辺町並み修景事業」のエリアを見学した。


「小布施町第2町並み修景事業」の西エリアは、昨年9月の研修会で曳き家の真っ最中であった現場の見学をした「かんてんぱぱショップ小布施店」を中心に、旧池田邸の土蔵2棟も改修し、駐車場ひろばを含む一体を公益性の高い空間として修景したものである。


普段観せていただけない店舗2階では、当時の大工の曲り梁を生かした複雑な小屋組みの工夫に、会員それぞれの解説も聞かれ話が尽きない様子であった。


「小布施町第2町並み修景事業」のエリアと、「小布施悠然楼周辺町並み修景事業」を繋ぐ小路の整備が計画されている「松葉屋」を見学。持ち主それぞれの個性漂うオープンガーデンを散策しながら、「小布施ガイドセンター」「ゲストハウス小布施」を見学した。


「幟のひろば」「市村邸オープンガーデン」「栗の小路」「笹のひろば」を見学し、最後に、
「桝一客殿」を見学した。


こちらはなかなか内部を観る機会が無いため、参加者それぞれ興味深々、ガラスの浴槽等奇抜なアイデアや、土蔵を改修して心休まる空間となった図書室に新鮮な刺激を受けた。


「信州名匠会 研修会」としては、午前中で解散した後、希望者は引き続き、「桝一蔵部」での食事、JIA主催の午後の「小布施のまちづくりに関するレクチャー」にも参加した。


「小布施悠然楼周辺町並み修景事業」以来30年以上、「ソトはミンナのモノ」「ウチは自分達のモノ」を合言葉にエンドレスで町が醸成していく小布施の魅力を堪能し、改めて「たくみ」一人一人が「まち」を創っている自覚を持つ大切さを感じた一日であった。

 

平成23年度 第1回研修会

平成23年度 第1回委員会・会員集会

開催日/平成23年7月27日

 

各委員会で、活発な意見交換。本年度の事業始動  
6月に行われた総会で4名の新会員が生まれたのに続き、新たに入会した金属工事のクロサワメタル・黒澤 忠氏のあいさつ、参加者全員の自己紹介から和やかに委員が始まった。
会の冒頭、総務委員長から今年度委員会構成に至る経過、目的について説明があり、各委員会に分かれ、各委員会の担当事業、検討課題について熱く意見交換がされた。約1時間にわたり各委員会で議論した検討経過、結果について各委員長まとめていただいた。
総務委員会では、①各員会との連絡・調整機能の充実。②会員間の連絡手段として有効な、会員名簿にメールアドレスを整備する。
会員委員会では、①優れた技をもつ新会員を会員アンケート等活用し、本年5人を目標に会員増強を図る。②職人としての生きざまを話してもらう等、会員集会を企画。③恒例のゴルフ大会以外のスポーツ大会も企画、会員交流の機会を増やす。
事業・技術委員会では、①実物を作る等、テーマを決めた研修会を企画。②会員の仕事場見学については、時間の制約で難しい面があるが、今後検討。③部会制については、正副委員長で話し合う。
広報・編集委員会では、①会報「たくみ」記事における会員の協力。②ホームページで会員・新人紹介等の企画を検討、これを集積し、たくみ文庫に繋げる。③内向きでなく外向きの広報、社会への発信方法について、ホームページ充実を含め検討。
これら各員会の方針をもとに会員の協力で会の運営・本年度事業を進めて行く。
また、落合会員が出筆、制作に関わった本、「信州の橋百選」の紹介もされた。

 

平成23年度 第19回総会

新たな委員会構成で会の活動を充実

開催日/平成23年6月29日

信州名匠会は6月29日、長野市のメルパルクNAGANOで第19回通常総会を開き、平成22年度の事業報告や23年度の事業計画などを承認した。冒頭あいさつに立った降幡廣信副会長は、「前向きな姿勢で新しい年度に臨まれることを期待します」とし、総会を契機に会員間のさらなる親睦や交流を図るよう促した。

 

議事では、副会長に信州大学工学部建築学科教授の土本俊和氏を迎え、三人体制とした他、新顧問に川向正人氏(東京理科大学理工学部建築学科教授)、理事に中村光敬(中村木工所)と西宮登喜男(綿内瓦工業)の二氏を加えることを了承した。また、月例で行っている研修会の会場について、従来行ってきた宮本忠長建築設計事務所を基本会場とし、第2会場に松本市の降幡建築設計事務所を充てることも決めた。スリースター制度の認定書授与式では、新たに26 人が認定され、代表者に認定書が手渡された。

 

総会後、小布施堂社長で当会顧問の市村次夫氏による「歴史から学ぶ」と題する講演が行われ、小布施の事例から歴史のコードを読み解くヒントが紹介された。懇親会には市村氏のほか馬場璋造氏、東秀紀氏ら顧問のほか、本年度入会された4 名の新会員を交え、和やかに交流・懇親を深めた。

 

 

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