建築に携わる業種の異なる職人が集まり、交流を深めながら、信州の建築文化を後世に伝えようと活動する信州名匠会。ものづくりの精神でつながる職人の団体が今後、何を目指すのか。会長の土本俊和氏と副会長の降幡廣信氏に考えを聞いた。

 

こうした独自性の強い会が長年継続されているのは、信州という地域性に由来しているように思う。くしくも宮本忠長先生は生前、「信州は日本のチベットだ」と表現されていた。いま、それがよく分かる。地形や気候、豊かな森林・植生など、われわれには中央とはまったく異なる環境が与えられている。これまでも、その中で独自の文化が育まれてきた。建築も同じで、360度囲まれた山々に連なるような形状の屋根を持つ、景観を強く意識した建物がまち並みを形成している。こうした信州独自の建築文化を次世代につないでいきたい。

 

古い建物や文化を守ることは、職人を守ることにもつながる。ただ、宮本先生がおっしゃっていた「建築は現場で職人とともにつくるもの」という文化は残念だが確実に衰退している。経済最優先の枠組みの中で決まるルール(法制度)に縛られて仕事をしなければならないことは、職人にとっては厳しい環境だと思う。自分がやりたいことと違うことをやらなければ生き残れないという根源的なジレンマがある。

 

最近、長野県産の木材が都内の施設で全面的に使われている事例を見て驚いた。信州にいるわれわれが、地域材(県産材)のブランド力を見直し、きちんと認識することの必要性を強く感じた。地域材のブランド力の強化と普及が、信州の職人を活性化させる一つのヒントになるのではないかと考えている。

 

一方で、いま、若者の中で大工になりたい人や手仕事に興味を持つ人が増えている。教え子の中でも、そうした学生が増えており、「職人さんがやりがいを感じる設計書をつくりなさい」と指導している。木造を、こんなにこってりと教えているとこ
ろもないだろう。職人の技術と文化を守る上で、設計者の責任は大きい。職人の仕事を守り、職人の気持ちが分かる設計者を
育てたい。

 

将来的に信州名匠会として、何か形になる建物を、みんなの力をあわせてつくることができないだろうかと考えている。たとえば伝統的な工法や素材を用いて職人がつくりあげた小屋を展示して、たくさんの一般の人たちに見てもらうのもおもしろいと思う。やはり目で見て生で感じると違う。そんな活動も想定しながら、先達の偉業を継承し、新たな歴史をつむいでいきたい。

 

 

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