会報誌たくみ

 

旭日双光章(25年春の叙勲)の出澤潔さん語る

 

○このままでは設計をやれない
○郷里の佐久市に戻り設計事務所を開業


人事管理や仕事の管理やるようになってから、このままでいいのだろうかと痛切に感じるようになった。大学へ入ったころ、田舎(佐久市)へ戻ると、ちょうど家がだんだん建てられてきた時代で、入母屋のすごく立派なうちができたりして、あんなにお金をかけてもったいないなあ、という気持ちがあった。
山本先生がなんの授業か忘れたが「君達はいつかは田舎に帰れ」と言われたことがある。同級生はそんな事があったかなと言っているが。自分にどんな能力があるかは分からないけれど、帰ってきて何か少しお手伝いできるかな、という夢みたいな思いもあり、田舎に帰るという決心ができたと思う。


そうして33年が過ぎた。おかげさまで、こうした名匠会のようなところにも入らせていただいて、皆さんのお話も聞くこともできた。特に建築士会では多くの仲間が出来たし、JIA(建築家協会)にも入らせていただくことが出来た。
裁判所のお手伝いを長くさせていただき、民間で建築紛争がどれだけ多いかを知ることも出来た。そういった中で建築を幅広い目で見ることができたように思う。

 

○住まいとものづくりについて思う
○数値で計れない「真の価値」


最近、このままでいいのかなあと思うことがふたつある。ひとつは、住まいについて。もうひとつは職人、技能者がこのままでいいのかなと感じている。


建築士会佐久支部の会報に寄稿したもの。「住まいのありように違和感を覚えて数年になる。住まいを取り巻く社会の動きが、私の住まいへの価値観にある種の戸惑いを与える。形ばかりの空間構成、ファッション化した軽薄な形、環境性能を声高に叫ぶ住まいの群れが、街にあふれてひさしくなっている」。「エネルギー議論の高まりとともに、建築の省エネ手法に議論が集中して、その数値が住まいの価値観の中で重要な位置を占めるようになってきた。そして、その数値が強い説得力で住まいの価値を我々に伝えている。住まいには、数値で計ることができない大切なものがあると感じている。そういったものを数値で示すことはとても難しい。住まいの価値を数値で示すようになったときに、数値で示すことのできない住まいの価値が、私達の意識から遠ざかり忘れ去られてしまうことを恐れる」。


福島原発の事故で、日本のエネルギーの問題意識が高まっている。環境作りに関わる私たちは積極的にこの事に対応すべき。結果として、私たちも社会も住まいの価値をそうした部分に強い光を当ててしまうように思う。しかし、住まいにはそれ以上に大切なものががあり、そうしたものを住まいから忘れてほしくないと強く思う。


吉田五十八先生は、「家見に呼ばれて、とくに目立って褒めるところも貶すところもないけれど、いつまでもここにいたいなあ、と感じられる住まいが住まいの極致だ」と教えてくださり、吉村順三先生は、「心地の良さ」を口癖のように私達に語りかけてくださった。そうしたものがいまの住まいに果たしてあるのだろうか、というのが私の独り言。


建築を大きく二つに分けて考えている。
ひとつは建築の哲学、思想を作品として表現する建築。
もうひとつは人の生活の器を着実につくりあげる建築。
私たちは当然後者を考えるべきだと思うが、私の周りの若い人たちは建築作品を作る事を目標にしているように感じられる。それは決して悪いことではないし、そうした事は建築を前に進めることにもつながるわけだけれども、地域で建築をつくろうとする私たちは、地域の人たちのために、きちっとした建物を提案し、供給しなければいけない。そう思ったとき、いまの建築の動きはどうなのかなと思ってしまう。


2020年には、すべての建築に新しい省エネ基準を適合させることになる。それに先駆け長野県は平成26年から省エネ性能と自然エネルギー導入を検討し施主に説明しなければならなくなる。そういう時代であり、こういった事を避けて通れないことではあるが、それだけに価値を求めていいのか。それだけでなく、もっと大事なものがあるんだよということをだれかが言わなければまずいんじゃないかと思う。
住まいというのは人を育てる場所、人間は思い出の中で感情を育てる。冬でもぬくぬくと寒さを感じずに快適に過ごすことが人間として本当に幸せなのかと。そうしたときに住まいというのを別の視点から見て、もっと大事なものがあるんだということを、とくに名匠会の皆さん方は、そういうことをきちっと伝える役割があるんじゃないかと思ったりする。

建築の生きる意味についてときどき考える事がある。JIAも保存問題大会を長野でやるが、建築を保存するという意味はなんだろうか。建築の保存には学術的、歴史的な意味があると思うんだけれど、市民として見た時、「やっぱりオレの街にあの建物はいつまでも置いておきたいねえ」というものがあってほしい気がする。
前に宮本先生が、「建物というのはね、土地の人があれは良いって大事にするものは残るんだよ」と言っておられた。いろんな思い出があって、あの建物だけは壊したくないとみんなが思えば残っていく。そういう意味では住宅というのは家族の思い出の場所なので、住宅というのは残っていくべき。どんなに機械がよくたって、機械はいつか壊れる、そうじゃない部分は残る。そうじゃない大事な部分を一般の人たちが大事に思ってほしいなと思う。

 

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