平成23年度通常総会 記念講演会「歴史から学ぶ」
◆法律の3つの欠点
私がなぜそんなに歴史というものを意識するようになったかというと、30年くらい前から、宮本先生のご指導のもと「町並み修景事業」というものを行ったからです。
事業を行うに当たって、単に景観の整備だけではなく、これを出発点として、小さい町だけれど、将来、小布施という町を、どのようしていったらいいかという処世の議論から始めました。
そのとき真っ先に議論されたのが日本人の癖と法律についてです。
法律や条令というのは、たいへんな武器であると同時に欠点も内包しています。
欠点の一つ目は、ある目標値があったときに、法律はそこまではいかず、最低限のラインを引く。
一旦、法律でラインができると、黙っていればもっと上のものができたのが、法律のラインに収斂していくということです。
たとえば、耐震基準が昭和56年以後、変わりました。ある施主が「基準以上のことをやってくれ」というと、建築関係者は「無駄です」と言う。
「法律ではここまでクリアすればいい」と言われると、「そうか、無駄か」と納得せざるをえません。かくして、全て法律のラインに収斂していきます。
耐久性だけではありません。いろんな意味で、法律さえクリアすればという癖ができてしまいます。法律がコードになっていくのです。
法律がゆえにレベルの低いものができてしまう。
これが法律、あるいは条例の決定的な欠点だろうと、当時、考えたわけです。
その次は、一旦、規制的な法律ができるというようなことになると、法律が施行される前に駆け込みでやらないと損をしたような気分になるということです。
法律が決まり、明日から実施ですとなれば別ですが、普通、そうはなりません。
早くても来年、半年後くらいに施行することになります。
この半年が問題です。その間に何かしなくては損だという気分に駆り立てられる。
これが法律の二つ目の欠点です。
三つ目の欠点は、規制は、さかのぼって適用できないということです。
法律をつくることによって、それ以前のものの利益を保護してしまうという場合があります。
一番良い例が、長野県は条例でモーテルを禁止しています。
しかし、条例ができる前のモーテルというのは残っている。
商売をしていて、何の商売でもそうですが、一番嫌なことは後から新規参入されることです。
ところが、条例とか法律が新規参入を防いでくれるわけです。
すでに商売をやっている人にとっては、こんなに良いことはない。
30年前に議論したのは、どうも法律はそういう3つの欠点があるということでした。
だから小布施は、今後、条例ではなく、実例で良いものをつくって、「あれ良いじゃないか」と、そういう流れをつくっていく方が実際的だということになりました。
つまり、波及効果をもくろむということです。
これが小布施の町並み修景事業の出発点でした。
◆住環境整備、CI、産業振興
次に問題になったのは、何のためにこの事業をやるかという点でした。
そして、やっぱり広い意味での住環境整備だということになりました。
「広い意味」というのは意味がありまして、生産活動だとか、あるいは加工とか販売。
そして、その商売を含めての生活であるべきだと。
この生活というのは、いろんな機能の含まれた生活だというところに、当時、大流行だった都市計画上の「ゾーニング」というものに対する疑問があったわけです。
つまり、一つの場所にいろんな機能があるから都市は面白いし、住んでいる人間も面白い。
地方都市などは商店主が自分の店の2階、3階に住んでいたのが、郊外に家をつくり、中心部へ通うという生活が、当時は一般的になりかけていました。
「東京という町がなんで面白くないか」「芝居を見てもその後、一時間かけて郊外へ帰っていかなければいけない」「あんなものは都市じゃない」と。
その後、都心回帰が起こりましたが、それ前の東京は一種のテーマパークではないかと。仕事をするために通い、そして、自分の生活は都市ではなく郊外にあるといういびつな生活をしている。やっぱりゾーニングというのはどこかおかしい、という疑問でした。
広義の住環境整備というのは、その辺を含んでいるということです。
次に問題になったのは、やっぱりコミュニティ・アイデンティティ、CIです。
CIというと、当時は、どちらかというとコーポレート・アイデンティティ、企業に使われた言葉でした。
しかし、そろそろ企業だけではなく、地域の「地域らしさ」という意味で、CIという言葉を使おうと始めた時期でもあります。
三番目は、元々ゼロだった観光客が目立つようになりはじめた小布施の場所を考え、観光も含めた産業政策にする必要があるということでした。
そして、この優先順位は崩さない。
住環境整備が一番で、二番目はコミュニティ・アイデンティティ、産業振興が三番目だということです。
かつて貧しい時代は、自分の生活を犠牲にしても観光客が喜ぶようなことをやった時代もありました。しかし、町並み修景事業をやり始めた1980年代には、それは過去のやり方だと考えられるようになりました。
住む人のライフスタイルというのが一番大事になってくるはずだと。
したがって産業振興というのを三番目に置いておかないと、お粗末なものができるということになったわけです。