職人の技について、私は昔から「宮本軍団」とか「職人軍団」と言われて、技術をもつ職人と現場で一緒にやる努力をしてきました。私の設計の場合には、棟梁とか、左官とか、私が職人個人を指定して現場に立ってもらっていました。通称「宮本軍団」とも呼ばれていました。
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平成22年度 第2回研修会
長野市民会館 見学
開催日/平成22年8月28日
今回は、JIA長野県クラブまちづくり委員会主催の本年度第一回 まち並みウォッチングに信州名匠研修会として参加した。長野市民会館2階ホワイエに全員集合し、JIA長野県クラブ 丸山副会長のあいさつの後、坂田専務理事から、今回の研修会のように信州名匠会とJIAの交流が行われることの意義についてのお話があった。その後、2班に分かれ見学が始まった。ホワイエで、当時の実施設計図、構造計算書、竣工写真、当時の新聞記事等を観覧した。
長野市民会館は、市政60周年事業として市費、厚生年金積立金の環元融資、寄付金によって計画され、郷土が生んだ建築家、早稲田大学の十代田教授が建設委員会顧問となり、当時、ホール、音響の第一人者であった佐藤武夫が設計を行った。担当は、当会会長の宮本忠長である。当初の基本計画は、市民会館、市民広場、市庁舎の一連の計画がなされた。現在とは異なり、市民広場を中心に、東に市民会館、西に市庁舎高層棟、南にこれらをつなぐ市庁舎議会棟で構成されていたことが図面資料から解かる。そして最初に竣工したのが長野市民会館であった。この多目的ホールは長野市周辺町村の文化コミュニュケーションの場として要望され、昭和36年4月に竣工した。
この建物の特徴は、現場打ちコンクリートV型梁の採用(スパン30m)、西陽に直面するホワイエの明るさの抑制のために考案された、正面ファサードの孔明きPCブロックのトレサリー、市民会館東側を走る信越本線の音に対する遮音上の目的で採用された、外壁煉瓦張り(ようかん積み)等である。宮本会長によると、色ガラスがはめ込まれたトレサリーは、陽光きらめく千曲川をイメージしたものであり、外壁煉瓦は、当時明科にあった煉瓦工場の制作したものである。
2階ホワイエから外部→1階機械室→楽屋→調光室→キャットウォーク→報道室→舞台→映写室→大接室→集会室と、普段観ることの出来ない市民会館の隅々まで見学させていただいた。
煉瓦の一枚のテクスチャーを活かした内外煉瓦積み、穴開きPCブロックにはめ込まれたスチールサッシュのディティール等、当時のものづくりに対する情熱をつよく感じた。
最後に、現在の長野市民会館館長である笠原さんから、閉館までの時間を大事にして市民会館を多くの人の記憶の残るようにしたいとの言葉をいただき見学会を終えた。
また、午後は自由参加で、長野市東町で使用しなくなっていたビニール工場を、建築家・クリエーター等7名で組合を作り事務所として活動を始めている「ボンクラ」を見学した。
古い民家を利用し始めた人々の活動の場も見学した。大変暑かったが大変貴重な体験ができた。
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- [2010.09.03]定例研修会報告 平成22年度 第2回研修会を掲載しました。
- [2010.08.25]定例研修会報告 平成22年度 第1回研修会を掲載しました。
- [2010.07.09]平成22年度第一回7月研修会開催のお知らせを掲載しました。
- [2010.06.23]会員にきく Vol.17、Vol.18を掲載しました。


